ピアッツァ、こんな所でも不人気だった!!



いすゞピアッツァと言えば、今やいすゞ自動車がピアッツァというクルマを作っていたことは一般的には既に完全に忘れ去られてしまったほどの不人気車であり、仮に存在した事実を知っている人であっても「ああ、あのマヨネーズみたいな売れなかったやつね。ところでいすゞって倒産したんだっけ?」などと一蹴されてしまうほどの存在感の無さが際立つクルマであった。また、それは世間一般だけではなく自動車界においても同様であり、自動車雑誌の不人気車特集には必ずピアッツァが登場すると言われているほど、ピアッツァが不人気であったことは日本の自動車界においては定説と言っても良いほど一般的なことであるが、ピアッツァが不人気であったことは、実はその名前がいけなかったのではないか、という新説が浮上した。

時は2000年5月14日。福島競馬場にて行われた第1回福島競馬において、極めてどうでもよい馬だけが登場するレースとされる第1レースの8枠についたのは、どうでも良い馬の中においても9番人気と際立って人気のないピアッツァ。特に注目を浴びることもなく、集団の外を淡々と走っていたピアッツァであったが、レースが終わってみると意外や意外、どういうわけか2着に食い込んでしまった。結局終わってみれば第1レースからいきなり万馬券レースとなってしまい、各所から非難轟々な結果となった。

万馬券の元凶となってしまったピアッツァ

このように、2着になるほどの実力を持ちつつも明らかに不人気であったことは、その名前に因るところが大きい、というのがその説の根拠であるが、海外においてはドジャースのマイク・ピアッツァ等に見られるように特に不人気というわけでもなく、そのような論法はいすゞ自動車が広告戦略で得意とする強引なこじつけと同様に全く根拠が無いものであるとして、やはり世間一般からは相手にされていないようだ。