Long, Long way to PIAZZA...
-- PIAZZAへの長い道程 --


私とPIAZZAとの出会いは昭和56年、小学校への登校中の道端でした。当時私が住んでいたのは藤沢市長後、そう、いすゞ自動車藤沢工場のお膝元です。そんなわけで、結構な数のPIAZZAが存在していました。スーパーカーブームの真っただ中、それまで私にとっての「最高の車」はS30Zでした。何度もPIAZZAを見るにつれて次第にPIAZZAはS30Zと並んで「最高の車」になっていったのでした。

そして、我々は地元民の特権というべきか、小学校の行事でいすゞ自動車藤沢工場の工場見学に行くことができました。そこでは、フローリアンと並んでPIAZZAが生産されていました。正直言って、もうこの頃の記憶は殆どありません。残念なことです。

時は過ぎて自動車免許が取れるような年齢になり、いすゞ藤沢工場隣りの自動車学校で教習車のアスカでお勉強するような時期になりました。免許を取れば当然自分の車も欲しくなるものですが、免許取得時はまだ高校生ですから、当然金があるわけもなく、オヤジのワンダーシビックに乗ることを強いられていました。

そして大学生になると、当然のようにバイトを始めました。バイト先に行くには、いすゞ藤沢工場のそばを通って行くのですが、このとき恒例の「いすゞ渋滞」にはまるわけです。ここで、半分忘れかけていたPIAZZAへの憧れを思い出すのでした。

徐々に金も貯まり始め、いよいよ自分の車の購入を考える時期がきました。しかしその頃は走りたい盛りで、どうしてもPIAZZAよりもAE86、S13やらKP61に目が行きます。それでも、やはりS30Z、そしてPIAZZAは最も乗りたい車でした。しかし、どちらもバイト学生に買えるような値段ではなかったのです。その頃のIrmscherの相場は約100万、handling by LOTUSは平気で150万していました。尤も、初期型のXJ等は当然もっと安く、買えないことは無かったのですがやはりそこは若い奴、どうしてもスポーティなIrmscherに目が行ってしまい、これ以外のモノを買うなら別の車にするわ、となってしまったのです。結果としてAE86を買いました。

しかしそのAE86も、若気の至りで1週間で壁に激突し、廃車の憂き目にあってしまいました。その後当然のように親免停を食らい、車には暫くの間乗ることはありませんでした。それでも一度車に慣れた体では何か足が無いと生きていけないので、二輪中型免許を取りバイクに乗り始めました。

そしてバイクに乗り続けること3年半、社会人になり1年目も終わる頃でした。その頃住んでいた神奈川県川崎市は月極駐車場の相場が2.5万〜3万、車なんて買えるわけのないような状況で、バイクに乗ることに満足していました。しかし、1冊の漫画が私の考えを変えてしまいました。それはGT ROMAN第2巻の最後に載っている「3年間酒も煙草もやらずに700万円貯めてMASERATI BI TURBOを買う」という話でした。これを読んだ瞬間決めてしまいました。意地でも金貯めて車を買うぞ、と。

それから1年間、毎日バターロールやらモヤシ炒めやらのせこい食事で過ごし、外食は一切無し、金がかかるので旅行にも行かず、煙草と酒は安物、ガソリン代や宿代が勿体無いのでロングツーリングにも行かない禁欲生活を続けました。なにしろこの頃はソフトウェア業界は不景気のドン底、残業もなく、ボーナスも少なく、月の手取り10万円では1年がかりで60万円貯めるのが精一杯でした。このような状況では月々の駐車場代を考えるととてもローンで車を買うわけにはいかず、どうしても現金を貯める必要があったのです。

この頃購入を考えたのはやはりS30Z、PIAZZAでした。もう速い車には興味がありませんでした。そして予算の都合もつかず、維持するのも大変なS30Zはあっさり外し、PIAZZAを探し始めました。CAR SENSORを買う金もないので、立ち読みする日々が続きました。そして金を貯め始めてから1年近く経った頃、何とか総額70万くらいは出せる状況になり、本格的に探し始めました。

中古車雑誌を読んで自分なりに相場をつけるとIrmscherで40万、handling by LOTUSで60万といったところでした。予算の関係もありましたが、やはり昔憧れたIrmscherに絞って(といっても絞るほどの数は掲載されないのですが)探していると、ジェミニオート北総で87年式、32万円、ボディーカラー黒というものが掲載されました。私は居ても立ってもいられなくなり、即店に電話してまだ有ることを確認すると、バイクで(しかも一般道で)店に向かいました。

店に着くと、黒のPIAZZA NERO Irmscherが燦然と輝いていました。ナンバーが無いので試乗はできませんでしたが、エンジンからの異音も無く、内装の程度もまあまあ。ボディも一度フロント左側をぶつけた形跡はありましたがそれ以外は大きな問題も無し。既に心は決まっていました。見積もりを取ってもらい、値引きのために迷っているような素振りを見せると、店の兄ちゃんは一言「また来るのも面倒だから、決めちゃったら?」。これで決めてしまいました。ガソリン代も勿体無いし。車検2年付きで総額60万円ということで契約となりました。

その日から待つこと2週間、無事納車となりました。4年半振りに乗る車、しかも憧れのPIAZZA。目茶苦茶緊張しつつ、しかも当然のように一般道で家に戻りました。

一度家に戻りカセットテープなどを物色して再び車に乗り、そろそろ暗いのでライトを点けるといきなり左側が死んでいました。店に文句の電話をすると、バルブが死んでいるのでは?車検は通ったのだから問題はないはずだ、とのこと。いい加減な対応に腹も立つけど、とりあえずボンネットを開けると何だ、コネクターが外れているではないか。付けようにもユルユルしていてよろしくない。とりあえずビニールテープで押さえ付けて誤魔化しました。

その後も下らないトラブルは数知れずありました。でも、やっぱりPIAZZAは最高の車でした。何処が?と言われても答えようがありません。最高な車、それで十分です。もう一つの憧れだったS30Zはもう頭の中から外しました。今はもう、この車でずっと走り続けるつもりです。

とはいうものの、いつまでもつものやら。



JR EAST JAPAN
M.Sota's PIAZZA