America Report Part2 時差ボケ初体験

とりあえず無事ロスの地に到着した我々ではあったが、レンタカーの予約はしてあるくせに、ホテルの予約をしていないというなんとも情けない状況であった。しかし我々も馬鹿ではない。ちゃんと機内で「地球の歩き方」を読み、日本語の通じる旅行会社を探してあったのだ。早速両替機で1ドル札を両替し、電話をかけてみよう....とするが、一体出てきたコインがいくらのものであるかよくわからない。良く見ると25セントだったり5セントだったりするが、何故こんなよくわからない単位にするのだろうか。いいかげん米国もメートル法にしたらどうなんだ、などと悪態をつくが、ドルとメートルは何の関係も無いのであった。

よくわからんので公衆電話に適当にコインを入れ、旅行会社に電話してみる。しかしどうしたことか、誰も出ないではないか。何が地球の歩き方だ。これじゃあ一歩も先に進めやしないではないか。仕方ないので旅行案内所を探すが、これがまた誰も居ない。一体米国というのはどういう国なんだ。旅行者をなめているのか、この国は。仕方ないのでまた地球の歩き方を物色する。さっき文句を言っていたのに結局これに頼るところが情けない。最初から英語で話すのも気が引けるので、リトルトーキョーのミヤコ・インにアタックすることにする。とりあえず先輩が電話をかけるが、いきなり「きゃん・ゆー・すぴーく・じゃぱにーず??」はないだろう。しかしとりあえずそれでも通じたようで、向こうも日本人が出て来た。こうなればこっちのものだ。貧乏人なのでツインで2泊の予約を取る。これで一安心だ。

さていよいよレンタカーを借りなければならない。どこにハーツ・レンタカーがあるのかよくわからないので適当に外を歩いていると、横に「Hearts」と書いたバスがやたらと走っているではないか。天の助けとばかりに乗ろうとするが、全然止まってくれない。何台も通るのだが、全部止まらない。どういうことかと思い、また空港に戻りハーツのオフィスを探してみる。すると、おお、あるではないか。近寄ってみると、グリーンの柱の前で待て、という紙があるだけで誰もいない。全くもって旅行者をなめた国だ。仕方ないのでグリーンの柱を探す....間もなく、目の前の道路にあった。とりあえずそこに行くと、程なくしてバスが到着。今度は止まってくれた。本当にこれで良いのかどうかよくわからんが、とりあえず乗り込む。

バスは颯爽と走り出し、どんどん空港から離れていく。段々本当にこれで良いのか不安になるが、乗ってしまったものは仕方がない。空港から少しはなれると、もう完全にアメリカの町並みだ。しかも右側通行だ。良く見ると、赤信号でも右折車はどんどん曲がっていく。うわさには聞いていたが本当だったか。数分後には自分がこのような交通状況の中で運転すると思うと恐ろしいものがある。5分程走ってハーツのオフィスに到着。しかし何とも馬鹿でかいレンタカー屋だ。日本じゃあ絶対ありえないぞ、こんなの。

何処に行けば良いのか良くわからないので人の流れに付いていくと、何となくそこが受付のようだ。列に並んで順番を待つ。何やらセールスレディらしき人が列で待つ人々に声をかけているが、我々はどうせ英語が喋れないと思ったらしく無視されてしまった。そうそう、それで良いのだ。なんて考えているうちに我々の番が来てしまった。相手はラテン系の気の良さそうなオッサンだ。とりあえず日本で予約したときの紙を出し、reserved from Japan、なんてもっともらしいことを言ってみる。運転は二人ともするのか、免許証は、日本の免許は、クレジットカードは、と矢継ぎ早に質問してくるが、相手も生粋の米国人ではないようで英語もわかりやすい。俺も調子に乗って喋ってしまうが、たまに出てくる知らない単語攻撃にあうと一気に撃沈されてしまう。車はカムリ、トーラス、サンダーバードのどれにするか、と聞かれ、米国まで来て豊田車に乗っても仕方がないので当然サンダーバードを選ぶ。サンルーフがついているので10ドル高いぞ、なんて言われるが、断るのが面倒なのでオッケーとする。何とか受付を終了し、Mの39にある車に乗れ、カギはついてるぞ、なんて言われる。サンキューなんて言っていると向こうも調子にのってありがとうございます、なんて日本語を喋り出した。全くラテンの連中は陽気なものだ。こっちはかなり憂鬱なのだが。

Thunder bird ようやくサンダーバードをGet!!

さて車に乗ろうとするが、すでにかなりの空腹感があるので駐車場にあるホットドッグ屋がやけに気になる。乗る前に食おうということになり、先輩は早速「わん・ほっとどっぐ」なんて言っている。それじゃあ通じるわけが無いのだが、何とか買えたようだ。俺は以前どこかで見たとおり「わん・はっだっ」と言ってみたらあっさり出てきた。やはり英語を喋る時はその国の人になったつもりで喋ってみると良いようだ。出てきたホットドッグは、値段の割にはやたらとぶっといソーセージが入っている。米国人はこんなのを平気で食うのだから大した奴等だ。食い終わると猛烈な睡眠欲が我々を襲ってきた。もう日本時間にして夜の12時過ぎなんだから当たり前だ。でもこっちはまだ昼だ。寝ているわけにはいかない。仕方ないので車に乗ってとりあえず出掛けることにする。ここで誰が先に運転するかの世紀のじゃんけんが執り行われる。案の定俺が負けた。どうもこういう勝負 は弱い。初めて乗る左ハンドル車、初めて乗るアメ車、初めての右側通行、とにかく緊張モノだ。最初の行き先をサンタモニカに定め、いざ出発する。

レンタカー屋を出て走り出す。頭の中で「右、右、右....」と繰り返す。とにかく地理感覚も無し、交通規則全く知らず、の状態なのでもう恐ろしいなどというものではない。おまけに先輩は平気で地図を見間違えてしまう始末でどうにもならない。変な色気は出さず、一番右側を走ってフリーウェイへ向かうが、入り方がよくわからない。立体交差になっているところをいつもの癖で左から入りかけてしまう。どうにかこうにかフリーウェイに乗り、あとは地図通りにサンタモニカへと向かう。が、しかしここでいきなり先輩はその前にナントカという港に行きたいと言いだす。仕方ないのでとりあえずそちらに向かう。徐々に慣れてくるので、俺は道を走りながらどこかにピアッツァの北米仕様、IMPULSEはいないものかと探すが、そんなものは全然走っていない。程なくして港の近くに着くが、駐車場に入るのにまた一苦労。やっと見付けた駐車場で機械に5ドルを入れようとするが、どう頑張っても入らない。これだから大ざっぱな米国製機械は嫌いだ。諦めて別の駐車場を探し、今度は問題なく入庫。

SURFER Magazine そしてたまたま買ったこの雑誌に載っていた時計がやけに気になるのであった。

海に向かうと、そこはちょっとしたビーチになっていて、ガキどもが海につかって遊んでいる。港の中なので、波なんてこれっぽっちもないし、景色もたいしたものではない。面白くないのでそこは離れて、いざサンタモニカへ向かうことにする。ベニスビーチのあたりをかすめて海沿いを走る。左側には広大な太平洋が見え、何とも心地よい走りを満喫する。走るうちに憧れの?サンタモニカ・ピアに到着。駐車場を探すが例によってすぐには見付からない。ぐるぐる走り回るうちに海沿いにあるのを発見。今度は機械ではなく、中学生くらいの少年に6ドル要求される。10ドル札を渡すと、俺は何を考えたかお釣りももらわずに発進してしまった。先輩が文句を言っていたが、戻るのもカッコ悪いので、こちらに寄ってきてお釣りを渡そうとする少年に手を振ってさっさと走り去ってしまった。

サンタモニカのビーチは、それこそ米国有数の観光地であることを象徴するような素晴らしい景色であった。海は遠く限りなく、海岸沿いには西海岸らしい椰子の木とクラシカルなホテル、海沿いのハイウェイが見事に調和している。そして左側には桟橋。この桟橋が一部遊園地になっているのはちょっと気に入らない。海ではガキやオッサン、若い連中が一緒になって遊んでいる。海岸では思い思いにバーベキューをしたり日焼けしたりしている。海は若者だけのものだと思っているどこかの国とは大違いだ。何より、人が少ない。夏休み、しかも土曜日の観光地とはまるで思えない。どこまでも続く砂浜も空き缶なんて一つも落ちていない。つくづく自分の住む国との違いを思い知らされる。

santa monica peer サンタモニカ・ピアで威張る俺(ある人はこの写真を見て「東南アジアからやってきた難民のようだ」と云った)

桟橋を歩いていると、沢山の人が釣りを楽しんでいる。その後ろをチャリンコやローラーブレードが走り去る。日本じゃあ危険だとか言って禁止されるんだろうな。出店では有名人の看板と写真取りましょう、なんてのをやっている。でも有名人らしき人達の半分もわからなかったりするのだが。桟橋の先端から見る景色はこれまた素晴らしいものであった。ここもやはり人が少ないのが良い。一服でもしたいところだが、例によって禁煙なので諦める。しばらく景色を堪能して、車に戻って一服。考えてみれば車の中でしかタバコを吸っていないではないか。

そろそろ米国時間でも夕方が近づきつつあったので、とにかく一度ホテルに向かうことにする。既に日本時間の夜3時、しかも緊張し続けていたので目茶苦茶眠い。しかし運転しないとホテルには着けないので、フリーウェイを一路ダウンタウンへと向かう。さすがに米国有数の大都市だけあって、ダウンタウンに近づくに連れてノロノロになる。ついでに俺の頭の回転も悪くなる。ガムを食ったり頭を振ったりしながら必死に目を覚まし続け、なんとかダウンタウンに到着する。いざホテルのあるリトル・トーキョーへ向かうが、道が一方通行ばっかりでわかりにくい。しかし片側6車線の一方通行っつうのも何を考えているのかよくわからん。さんざん道を間違えつつ、何とかホテルに到着。

とりあえず駐車場に入れようとすると、向こうからこわーい黒人が歩いてくる。チェックインしてるのか?と言うので、We reserved, but not checked in yet なんて言ってみると、そのへんに止めろ、と右後方を指さされた。おどおどしながらそこに止める。さっさとチェックインしないと何をされるかわからないので、そそくさとフロントに行くと、そこには日本人が居た。何という安堵感であろうか。日本語で手続きをするこの幸せ。カードキーを貰い、荷物を車から降ろして部屋に向かう。

部屋に入ってゴロンとする。米国に来て初めて落ち着けたような気がする。古くさいテレビをつけようとすると、何故かラジオが一体化している。スイッチがやけに多くてよくわからんが、適当に押していたらついた。米国人はこういうスイッチが沢山ある子供騙しが好きなのだろうか。テレビはどのチャンネルも何を言っているのかさっぱりわからなかったが、適当に回してみると何とNHKがやっているではないか。嗚呼、NHKを見れるこの幸せ。最初のホテルは日本系のホテルにして良かったとつくづく思う。既に日本時間で朝の6時か、なんて考えつつ、晩飯はどこにしようかと地球の歩き方をめくる。結局ここでも頼ってしまうのだ。しかし、猛烈な睡魔にはかなわず、いつの間にか飯も食わずにLA初の眠りについていたのであった....

Part 3 波乗りの聖地へ



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